英国のバラが散って20年

イギリスのダイアナ元妃(プリンセス・オブ・ウェールズ)が亡くなって今日で20年になる。筆者はモスクワのボリショイ劇場で、ダイアナ妃とニアミスをした経験がある。妃は足を組んで、ステージのバレーをちょっとつまらなそうに眺めておられた。

子どもに溶け込む名人だったダイアナ元妃

ヒラリー・クリントン氏と対談するダイアナ元妃

 

イギリスでも20歳までの若者は、既にダイアナ妃を知らないということだ。パリでパパラッチに追われ、不慮の事故死を遂げたダイアナ元妃は、1961年にスペンサー伯爵の令嬢として生まれた。NHKで放映された英国貴族のドラマ「ダウントンアビー」の世界の人だ。

ダイアナ妃が、今もイギリス国民だけでなく世界の人から慕われるのは、貴族の令嬢でありながら、保育士として社会に溶け込む仕事をしていたことや、慈善活動に力を尽くしてきたからだ。エイズやハンセン病への取り組みのほか、地雷除去への取り組みは有名で、アフリカ、アンゴラでの地雷原を歩くダイアナ妃の姿は、世界に衝撃を与えた。

雑学ライブラリー

風の中の炎のように

「キャンドル・インザ・ウィンドウ1997」エルトン・ジョンが、亡きダイアナ元妃に捧げた曲で、葬儀でエルトン・ジョン自ら歌って元妃を送った。

YouTubeから

タイトルに1997と付いているのは、この曲はそれ以前からあって、その時のタイトルは「キャンドル・インザ・ウィンドウ(風の中の火のように~孤独な歌手ノーマ・ジーン)」ノーマ・ジーンとはマリリン・モンローの本名(ノーマ・ジーン・ベイカー)で、彼女に捧げられた歌でもあった。

アメリカのCBSテレビが2013年に、他社と共同で実施した「生き返ってもらいたい有名人」でダイアナ元妃はトップだった。