平和条約なきままの休戦協定から64年

7月27日は朝鮮半島に休戦協定が結ばれてから64年目の記念日だ。北朝鮮はこの日を戦勝記念日としている。しかし“休戦協定”が結ばれているものの戦争の終結を表す平和条約が結ばれないままとなっており、厳密には今も停戦中の戦時下と言える。

一時は半島ほぼ全てが北朝鮮下に

朝鮮戦争の勃発は1950年6月25日北朝鮮軍が、国境となっていた北緯38度線を越えて攻撃を始めたことに端を発する。当時のソビエトが後ろ盾となっていた北朝鮮軍は、戦車など装備は充実していて、当時の韓国側は防戦一方となり、わずか3日後の28日にはソウルが北朝鮮の手に落ちた。国連は北朝鮮を非難するとともに在日米軍を中心とする国連軍を派遣したが、準備不足を露呈し、各地で敗北を続けることとなる。

国連軍は一時、朝鮮半島の南端まで追い詰められ、釜山の陥落も心配される事態となった。この時、韓国は、山口県に亡命政府を樹立する計画を建て、日本へ準備打診している。

今のソウル仁川空港がある仁川へ米軍が上陸したことで戦局は大きく変わった。9月28日にソウルを奪還、逆に38度線を越えて、平壌へと侵攻した。しかし北朝鮮に中国軍が加わったことで、再度ソウルが陥落するなどしたが、38度線付近で膠着状態となった。

1951年国連で休戦提案が出され、協議が始まった。それぞれが有利に進めようとしたため、板門店で休戦協定が結ばれたのは2年後の1953年7月27日だった。

ラジオ放送ではなかなか聴けなかったイムジン川

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臨津江(イムジン川)

歌曲の「イムジン川」はもともと北朝鮮の歌。川は南北朝鮮の国境付近を流れているため、民族の分断を象徴する川とされている。フォーククルセイダーズの歌が有名だが、歌だけではなく、政治的配慮からほとんど放送されたかった“いわく”の方が有名となった。

臨津江(リンシンコウ)は豊臣秀吉の朝鮮出兵で、加藤清正が1592年に勝利を挙げた臨津江の闘いでも知られる。