蘇る聖徳太子
|新たな学習指導要領で、中学校の社会では「厩戸王(うまやどのおう)と教える」とされていた聖徳太子は、これまで通り聖徳太子の呼称で教えられることとなった。
鎖国も復活
これら改正案への修正は、新学習指導要領へのパブリックコメント(2月14日~3月15日までの意見公募で、11,210件の意見が寄せられた)を経て変更されたもの。聖徳太子については小学校では「聖徳太子(厩戸王)」と教えるが、中学校では「厩戸王(聖徳太子)」と教えるとしていた。この学習上の腸ねん転は、聖徳太子の呼称が没後に付いたもので、日本書紀や古事記では「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」と書かれていたため、より史実に沿った標記を使おうというものだった。パブリックコメントでは、小学校と中学校で呼称が異なると混乱する。などのコメントが相次いだ。このため“聖徳太子”は、後に呼ばれるようになった呼称である点に触れるのみで教科書では聖徳太子が蘇った。同じく“鎖国”も小学校、中学校とも“幕府の対外政策”とされたが、これまで通り“鎖国”と教えられることとなった。
学習指導要領については文部科学省のHP、パブリックコメントは電子政府の総合窓口e-Gov(イーガブ)のサイトから閲覧ができる。
聖徳太子と言えば
中年、大体50歳以上の日本人なら、聖徳太子と言えば「お札の顔」が思い浮かぶ。中でも一万円札は1958年(昭和33年)から福澤諭吉に替わる1984年(昭和59年)まで、26年間にわたって聖徳太子だった。
笏(しゃくと呼ばれる木のヘラのようなもの)を持った聖徳太子を描いた唐本御影(とうほんみえい)からとられたお姿がお札の顔となっていて、当時は聖徳太子は一万円の代名詞になっていた。聖徳太子はこの他にも、1930年(昭和5年)の百円札に使われて以来、千円札、五千円札と都合7回も登場しているまさに「お札の顔」だった。