残念!小型ロケット打ち上げ失敗

JAXA(宇宙航空研究開発機構)が、鹿児島県の内之浦から打ち上げた小型ロケットSS520の打ち上げは失敗し、小型衛星の軌道投入は出来なかった。

ロケットは海上に落下

JAXAの発表によるとSS520 4号機は、15日の午前8時33分打ち上げ、第一段の飛行は正常だったものの、機体からのテレメーターが受信できなくなり、二段目の点火をあきらめ、ロケットは内之浦南東海上の予定海域に落下した。

小型ロケットビジネスは再チャレンジへ

内之浦の発射施設 イメージ

小型ロケットSS520は本来、観測ロケットで、打ち上げて空間を飛びながら落下するまでの間に様々な観測ミッションを行うロケットだ。全長9.5m、重さ2.6トンで、衛星打ち上げに使われるロケットブースター4基を付けたH-2Aの重さが440トンを超えるので大変なミニロケットだ。

そのSS520に三段目のロケットを追加して、小型衛星を軌道へと投入できるようにしたのが今回の4号機だった。搭載された衛星は東京大学の実験衛星で、一部に市販の電子部品などを使ってコストダウンを図っていた。衛星打ち上げ用としてはこれまでにない小型のロケットによる、コストパフォーマンス重視の打ち上げで、宇宙ビジネスに新たなシーンを加えるのではと、世界から注目を浴びていた。今回は一段目、あるいは二段目で起きた障害で、新たに追加した三段目に達する前のトラブルだけに残念さがつのる。今回の失敗を糧に是非次は成功させてもらいたい。

雑学ライブラリー

日産自動車がロケットを作っていた?

日本の宇宙開発はペンシルロケットから

本当です。ロケットのエンジンは液体型と固体型があって、大型のロケットのメインエンジンは液体水素と液体酸素を混ぜ合わせて燃焼させる液体エンジンが主流。一方今回のSS520のような小型のロケットは固体型のエンジンだ。(大型ロケットも補助ブースターロケットは固体燃料)

日産自動車が作っていたのは固体型のロケットエンジンで、かつて合併したプリンス自動車がその起源だ。戦前、中島飛行機の流れをくんでいたプリンス自動車が行っていたロケット開発を引きついだもので、日産自動車に航空宇宙事業部門があった。その後ルノーの資本参加とともに2000年に石川島播磨系列がIHIエアロスペースを設立、日産の航空宇宙事業を全面的に引き継いだ。