生き残れるか?北海道の鉄道

北海道の鉄道がこのままでは今の半分になってしまう。JR北海道は今月、自力では維持が困難な路線を明らかにした。これらは主要幹線の一部も入る、10路線13区間総延長1237㎞で、現在のJR北海道の営業路線のおよそ半分にもなる。

一日たった一本の列車しか来ない駅

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維持困難路線は、輸送密度(一日キロ当たりの平均旅客数)2000人未満を基準に選定された。13区間の中で密度が最も低かったのは札幌から北へ伸びる札沼(さっしょう)線だ。この路線、札幌の都市近郊区間は学園都市線として旅客も多く、輸送密度は6481人/日だが、途中の北海道医療大学から先、終点の新十津川までのおよそ50㎞は、80人にも満たない。

新十津川駅へやって来る列車は日にたった一本、新十津川町は、最も終列車の早い駅と、笑えないキャッチフレーズを付けている。

 

廃止路線で備品の盗難も

北海道の鉄道は、これからJRと北海道、国、それに地元自治体の四すくみでどう残していくのか、あるいはどうたたんで行くのかが論議されるだろう。

11月25日のこの欄「半家から増毛へ」で取り上げているが、来月、留萌本線の留萌~増毛間が廃止となる。地元の新聞によるとこの廃止区間の無人駅などで運賃表などの備品が盗まれる事件が頻発しているとか。心無い行為は止めてもらいたい。長年走り続けてきた鉄道へ、感謝を込めて元のままの姿で静かに消えていくのを見届けたいものだ。

雑学ライブラリー

日本の鉄道の歴史は北海道から?

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白く見える泊原子力発電所の先に、日本で初めての線路が敷かれた泊漁港が

日本の鉄道の発祥は1872年(明治5年)の新橋~横浜間と習った。一方北海道の鉄道は、日本で3番目の鉄道として1880年(明治13年)小樽~札幌の間で開通している。が・・。新橋~横浜間より3年も早く走った鉄道があった。北海道、積丹半島の泊原子力発電所がある泊村、今も泊漁港として残る小さな港と、そこからわずか山間に入った所にあった当時の炭鉱を結ぶ、2.8㎞のレールが日本で始めて物資輸送に使われた線路だった。なぜ最初の鉄道になり損ねたのか?機関車がなかったからだ。動力源は牛や馬、時に人間が当たっていた。しかしレールが敷かれた、れっきとした鉄道で、これを日本最初の鉄道とする研究家も少なくない。