「北海道の日」が決まらない北海道
|10月1日は都民の日。それ以外に県民の日を定めている県は、20余りもある。これに倣って北海道にも道民の日を定めようと、道議会が動いたが、日付を巡って異論が噴出、すんなりとは決まりそうにない。
もの言いは神社から
北海道議会の検討会議では、名称を「北海道の日」として7月17日をその日と決めた。これは幕末に、当時蝦夷地(えぞち)と呼ばれていた北海道を探査した松浦武四郎が、1869年(明治2年)蝦夷に替わる名称として、北加伊道(ほっかいどう)を明治政府に提案した日だ。
これに異を唱えたのは北海道内の神社関係者で、明治政府が名称を北海道と定めた旨の布告を行った8月15日が、すでに北海道の日として定着しているとの主張だ。確かに札幌の開拓神社は、この日に例祭と定めて祭儀行っている。
ただ、8月15日は、明治政府が北海道と宣言した日であることから、7月17日の選択は、先住民族であるアイヌ民族への配慮がうかがえる。互いに納得できる決着を望みたい。
クローズアップ雑学
北海道だけ、なぜ県じゃなくて道?
昔習った日本史を思い起こしてもらいたい。古代日本の地方行政区画で、古くは京の都に近い山城、大和、摂津などの5つを国として、それ以外を「道」とした。東海道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道、西海道、東山道の7つの道があり、さらにその道の中には国が配置され、東海道には三河の国、駿河の国などがあった。「道」は道でもあり、国を含む広い地域の事を指している。
松浦武四郎は、先に示した、北加伊道をはじめ日高見道、海北道、海島道、千島道、東北道の6つの名称候補を上げたが、最終的に加伊を海に改め、北海道が誕生した。因みに武四郎の調書では“加伊”とは夷人(外国人の意味)の自称であるとしている。自分たちは北海道にとってはエトランゼとの認識だったのだろう。
北海道の面積は国土の22%、九州、四国に山口県、広島県、岡山県を合わせた面積に匹敵する。明治の一時期、函館県、札幌県、根室県の3県に分割されたが、人口も少ないのに役人ばかり増えると、また一つの道に戻っている。
北海道新聞、北海道庁ホームページ、北海道議会を参考にしている。