スバル 本物のレガシーへ

スバル、本物のレガシー           (2016年7月27日)

スバル360走行富士重工業の往年の名車スバル360が、日本機械学会から正にレガシーともいえる”機械遺産”の認定を受けた。スバル360は富士重工業の前進、中島飛行機の技術者らが開発したもので、1958年(昭和33年)に発売された。排気量360CCのエンジンでありながら大人4人を乗せ軽快に走り回った。

日本機械学会のHPによると「軽量でありながら強度を保つため、航空技術を応用したモノコックボディ。車内スペースを増加するためのトーションバー(棒状のバネ)の採用などで最高時速83㎞/hを可能とした。1970年(昭和45年)、生産終了までの累計生産台数は39万台余に達した」として、技術的な斬新さと、国民車として親しまれたスバル360が、なぜ機械遺産に選ばれたかを説明している。

40年余り前、知人が超おんぼろのスバル360に乗っていた。ある日近所の子供たちが、車を囲んで何やら話し込んでいる。聞き耳を立ててみると話題は「この車は本当に動くのか」だった。何しろ運転席の床が腐食して3センチほどの穴が開いて地面が見える。といった今では想像もできない車だったが、それでも颯爽と動き回る、実に丈夫な車であった。

 

クローズアップ

疾風の技術が活きた名車

疾風Google
四式戦闘機「疾風」

中島飛行機は戦時中、様々な飛行機を創り出した。ゼロ戦は三菱だが、中島が制作したのは「隼」、「疾風」の名戦闘機をはじめ、実現はしなかったが、アメリカ本土の爆撃を可能とする大型重爆撃機「富嶽」の設計・制作にあたった。またエンジンメーカーでもあり、ゼロ戦のエンジンも開発していた。

スバル360の重量はわずかに350㎏、エンジンからボディまで徹底的に軽量化を図った。これには無駄な重量を押さえて、軽さが求められた飛行機の設計技術が大いに活かされている。富士重工業は今も自動車から航空機、産業機器など様々なものを創り出すメーカーだが、来年には自動車で慣れ親しんだSUBARUに商号を変更する予定だ。