日馬富士の暴力沙汰が新聞、テレビを賑わせている。お相撲さん同士のいざこざとは言え、元をただせば酒が原因、酒が入っていなければここまで酷い仕打ちにはなっていなかったのではないか。
量も半端ではない力士の酒
お相撲さんは体作りのため常人では考えられないような量の食事を摂る。同時に酒量も半端ではないようで、朝食時からどんぶりに入れたビールを流し込む。などのびっくり飲食もあるようだ。今回の話題の主、日馬富士も、現役力士の中では1,2を争う酒豪のようで、数々のエピソードがあるようだが、現役力士では差しさわりがあるので、江戸時代にまでさかのぼってみる。今に伝えられている、強さ、人気、食べ飲み量のトップ力士はなんといっても“雷電”だ。
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雷電為右衛門(らいでんためえもん)
雷電は1767年(明和4年)に長野県で生まれ、1790年に初土俵を踏んだ力士で、1811年に45歳で引退するまで黒星はわずかに10しかなかった伝説の大関だ。(当時現役力士には横綱の呼称はなく、大関が最高位)
この雷電の酒は大変なもので、中国の名のある酒豪、陳景山と飲み比べ、一斗樽(18㍑)の量を飲み、陳景山がつぶれた後もさらに一斗を飲んだという。つまり一升瓶20本を飲んだ。通常これだけの水を飲むことは出来ないが、身体がせっせとアルコールを分解するので酒なら飲めるわけだ。
雷電為右衛門の父、半衛門も大変な酒好きであったようで、雷電の故郷、長野県東御市に残る、雷電が建立した半衛門の墓は、酒樽がかたどってある。同じく長野県の佐久市、伴野酒造が作る清酒「雷電」は辛口の男らしい酒で、品良く飲める。もちろん暴力沙汰は無縁な酒だ。