ホロコーストで若くして亡くなったアンネ・フランク。彼女ら一家の逮捕は密告ではなく、偶然だったとの新たな説が出てきた。
SD(ナチ親衛隊情報部)は偶然彼らを発見した?
新たな説はオランダ、アムステルダムのアンネ一家が隠れ住んでいた家を、博物館として公開している「アンネ・フランクの家」を運営するアンネ・フランク財団が明らかにしたものだ。従来、アンネの家族など8人が発見されたのは、何者かの密告によるものとされていた。
財団HPのニュースレリースによる新説では、「誰がアンネ・フランク一家が隠れ住んでいることを密告したのか」との疑問はひっこめられ「なぜSDは急襲したのか?そしてそれはどんな情報に基いていたのか」とされている。
密告説を否定はしていないものの、いまだに誰が密告したのかは特定されていないのも事実だとしている。その上で、隠れ家となっていた家が捜索された背景には、一家が隠れていたプリセングラハト263番地付近で偽造された配給券が見つかっていた。との事実があったとしている。アンネは逮捕後、収容所に送られ2年と経たずに病のため亡くなっている。
アンネ・フランクの家 HP http://www.annefrank.org/en/
雑学ライブラリー
アンネの日記
フランクフルトの比較的裕福な一家に生まれたアンネ・フランクは、ナチス政権の反ユダヤ政策で、オランダに移り住んだが、オランダがドイツに占領され、そこで家族もろとも逮捕された。アンネと妹、両親はそれぞれ別の収容所に送られ、父親のオットーを除いてみな収容所で亡くなった。
オットーだけが生き延び、アムステルダムへ戻った。そこで知り合いの手で保管されていた娘の日記を渡され、1947年に出版された。
ホロコーストは作り話だとする人物や団体などから「アンネの日記」は作り話だとの疑問がいくつも呈されるが、オットーはこれらに訴訟を起こし、いずれもユダヤ人の虐殺は事実であるとの判断を得ている。