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    Categories: 地理・歴史

どうなる?ヒトラーの生家

オーストリアの地元メディアによると、オーストラリア政府は、ドイツとの国境に近い町、ブラウナウ・アム・インにあるヒトラーの生家を強制収容すると決めた。

アドルフ・ヒトラーは1889年4月20日、ここで生まれ3歳までこの家で過ごしている。ブラウナウ・アム・インは人口1万7千人の小さな町だが、今は空き家となっているヒトラーの生家は、町がナチスのシンパの聖地となるのを恐れて、町の観光案内にもその存在は触れられていない。ヒトラーとの関わりを示すものと言えば、家の前にブラウナウ町当局が設置した、反ファシズムの石碑があるのみだ。

オーストリア政府も町当局と同じく、この空き家がファシズム支持者の聖地とならないよう処置するつもりで、強制収容後には、この家を取り壊すかリニューアルしての再利用するものとみられる。

クローズアップ

ウィーンの街並み

映画「帰ってきたヒトラー」が人気だが、ドイツを狂気の世界に引きずり込み、ホロコーストを命じたアドルフ・ヒトラーはオーストリア生まれだった。その後1932年にドイツの国籍を取得している。

知られている話だが、ヒトラーは画家を目指して、ウィーン美術アカデミーを受験したものの落ちている。もしこの時、アカデミーが彼の入学を許していたら世界の歴史は変わっていたかもしれない。

airdream :テレビ報道に20年以上携わる。国内だけではなく、世界各地特にアジアやロシアで修羅場もくぐる。でも大好きなのは楽しいニュース。ほのぼのニュース。ためになるニュース。そんなページを目指します。

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