2001年宇宙の旅(2001a space odyssey)

原作:アーサーCクラーク     ハヤカワ文庫

監督:スタンリー キューブリック   DVD

映画が先でその後小説が出版されているが、どちらも難解で、特にストーリーの最後は色々な解釈があると思う。初めてこの映画に接した中学生時代(1968年)、その映像に度肝を抜かれた。有史以前の地球で、原人が動物の骨を道具、それも武器に使うことを発見し、相手を倒した後、雄たけびを上げ、武器の骨を空高く投げ上げる。その骨が虚空で止まり、落ちてくるシーンは宇宙船にすり替わる。人類の発展を一瞬で表した映像は感動ものだった。そして同時にヨハンシュトラウスのワルツ「美しき青きドナウ」の全編を使って、スペースシャトルが国際宇宙ステーションに着陸するシーンを映し出す。

未来の姿はどれも科学的根拠に基づいた説得力があり、見るものを納得させた。スペースシャトルの中をCAがゆっくりと歩く。シューズは無重力の中を歩くことのできるよう床に密着するグリップシューズ、無重力で毛髪が漂ってしまうのを防ぐために、ヘルメットのように頭を覆うのはスペースキャップだ。しかし2001年の未来の姿の中で登場しないのはインターネットだ。

木星探査船ディスカバリー号を司るのは大型コンピューターHAL(ハル)9000で、様々なコンピューターがネットワークで結ばれるインターネットの概念はさすがに1968年には予測不可能だったようだ。ところでこの作品の主役であるコンピューターHAL9000の名前にも謂れがある。HAL、それぞれのアルファベットの次の文字をつなげると、当時世界トップのコンピューターメーカーであったIBMとなる。IBMの一つ先を行くコンピューターとしてHALと命名されたとか。

インターネット以外にも将来を読み切れなかった部分がある。スペースシャトルの胴体に描かれた「PANAM」のマークだ。1968年当時世界最大で、かつ世界で最も経験の豊かな(テレビ番組の中で「世界で最も経験のある航空会社パンナムの協力で」と流れていた)航空会社であるパンアメリカン航空は2001年まで持たなかった。大きな地球儀を模した大相撲のパンアメリカン航空賞は国技館でもお馴染みの光景となって、パンナムは日本でもっとも有名な外国航空会社であった。しかし規制緩和による熾烈な競争に敗れ2001年の10年前、1991年に破たんしてしまった。パンナムのスペースシャトルに乗っての2001年宇宙の旅は不可能だったのだ。ちなみに宇宙ステーションではヒルトンホテルのカウンターがあったが、こちらのホテルブランドは健在だ。

現場臨場   月面

2001年はとうに過ぎてしまったが、現場とは、宇宙ステーションと月になるだろう。しかし臨場するためにはさらに長い時が必要で、実現しても多額の費用が掛かるものと思われる。