機長席 (The Left Seat)
|ロバート・J・サーリング 早川書房(絶版)ネット書店でサーチ
「紅の翼」に続いてオールド・ノベルのご紹介。著者のロバート・J・サーリングは通信社の航空担当記者を長年続け、1966年にこの「機長席」を上梓している。
第二次世界大戦後のアメリカ、エアライン黎明期が物語のステージだ。戦時中爆撃機の操縦桿を握っていた若者がエアラインパイロットの道を歩み、レフトシート(機長席)で活躍するまでがつづられる。物語は1945年から始まるので、出てくる飛行機はDC-3、DC-4、エレクトラ、DC-7などのプロペラ機だ。
主人公マグドナルド・マッケイは、エアラインパイロットとしての訓練を終え、副操縦士としての乗務が始まる。操縦はもちろん、癖のあるキャプテンとの関わり、スチュワーデスとの恋愛(呼称はCAではなくスチュワーデス)などが語られる。1950年代のアメリカは、エアラインものどかで、冗談好きの機長が、乗客を驚かそうと、操縦教本をこれ見よがしに抱え、キャビンを行き来する様などが登場する。サーリング氏は細かい現場取材をして執筆に臨んだであろうから、おそらく実際にあったエピソードだったのであろう。
航空黎明期には避けて通れないいくつかの事故が登場する。快晴のグランドキャニオン上空でユナイテッド航空のDC-7とトランスワールド航空のコンステレーション機が衝突した実際の事故、民間航空機の事故としては初めて100名以上の犠牲者を出した。さらにマッケイの同期のパイロットが、航路を逸脱し山に激突する事故を起こす。
多くはパイロットミスと片づけられた事故調査を、マッケイは、航法機器、管制の不備を突いて正しい事故原因へと導く。これらの事故をきっかけに、その後の世界の航空安全にかかわる、管制システムの構築とFAA(アメリカ連邦航空局)のスタートが告げられる。サーリング氏が描いたのは、パイロットの出世物語だけではなく、航空事故究明への取り組みでもあったのだ。
そして物語の最後。航空事故調査の論客となったマッケイの操縦するDC-7は、霧深い夜のニューヨーク・アイドルワイルド空港(今のJFK)へアプローチを開始する。RVR(滑走路視距離)はわずかで、滑走路は見通せない状況であったにも関わらず、コックピットには伝えられなかった。DC-7はタッチダウン寸前、視界ゼロの霧の中に飛び込んだ。ゴーアラウンド(着陸復航)を叫ぶマッケイの操縦桿に、テイル(機体の尾部)がスキッドする感覚が伝わり、左翼エンジンのプロペラが滑走路を叩いた。

パイロットの訓練のくだりには、今の航空ファンにはなじみのない、リンクトレーナーがでてくる。遊園地でお金を入れると動く飛行機のような恰好をしたこのパイロットトレーニング装置は、計器飛行の訓練に使われ、当時世界中の軍やエアラインで使われた機器だ。
翻訳の清水保俊さんは、このサイトにも入っている「滑走路08」の翻訳など、航空に関わる文を数々訳されているが、日本版の発売が1980年と今から40年近くも前なので翻訳に苦労されたであろう。パイロットとスチュワーデスの会話に「シカゴ滞留の時に話しましょう」などの言葉が出てくる。滞留?今ならためらうことなくステイと訳せる。
文中に、マッケイの妻がテレビの深夜映画で「紅の翼」を見て、ジョンウエイン扮するパイロットを称えている。
機長席はどの飛行機でも左側、原題の「THE LEFT SEAT」が機長、すなわちキャプテンシートを指す。機長昇格訓練を受けている副操縦士が、機長の代わりに左に座るには LEFT SEAT APPROVEが必要。
現場臨場
ワシントン・ナショナル空港(DCA)

主人公のマッケイらが訓練を受けたのが、ミッドウエスト航空のワシントン・ナショナル空港にある施設。DCAのターミナルAは1941年に開業しているので、マッケイらもよく利用していたに違いない。正式名称はロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港。ワシントンDCからわずか5㎞と近いが、滑走路が短いため、国内線のみで、日本からなど国際線は、郊外のワシントン・ダレス空港を発着する。ダレスの名称は、アイゼンハワー政権下で国務長官を務めたジョン・フォスター・ダレスにちなんでいる。アメリカの首都の世界への玄関口はダレス空港で、大統領の名前がついたレーガン空港は国内線専用空港、日本なら序列が問題となりそうだが・・。
成田からANAかユナイテッドの直行便でワシントン・ダレスへ。ワシントンDCのダウンタウンへ出て、ナショナル空港へは都心から地下鉄で直結。
DC-7
ダグラス社が創り出した4発のプロペラ機で1953年に初就航している。このシリーズの跡、ダグラス社はジェットのDC-8をデビューさせ、DC-7が最後のプロペラ機となった。ターボエンジンを搭載していたが、エンジンに比べ、機体構造は今一つで、客室の振動や騒音が大きく販売機数も大きくは伸びなかった。ダグラス社はDC-7開発の負担が大きく、マグドネル社との合併に踏み切ったと言われている。日本航空も使用したが、旅客機として乗れる機体は世界に一機も無い。

NY アイドルワイルド空港
マッケイの操縦するDC-7が事故を起こしたアイドルワイルド空港へのフライトは、茜のフライトログのJFK参照