D列車でいこう       阿川 大樹   徳間文庫

乗り物小説と言うとお叱りを受けるかも。経済チャレンジ小説とでも言おうか。物語の舞台は広島県の山間を走る32.7㎞の架空の鉄道「山花線」、万年赤字の三セク鉄道だ。毎年3千万円の赤字が続き、2年後の廃止が決まっている。

主人公は、メガバンクの東京都内のある支店の支店長で、系列企業の役員への打診を受けている河原崎慎平。旧建設省を退官した、田中博の50歳代おじん2人。それに河原崎の部下でMBAを持つ才能あふれる32歳、独身女性の深田由希の3人だ。

河原崎がツーリングで訪れた山花町で、撮り鉄の田中と出会う。そこで山花鉄道の行く末を知り気持ちが動いた。銀行マンにしてみれば“たった3千万円”の増収で山花鉄道は生き残る。「企業として再生は可能だ」東京へ戻った2人は酒を酌み交わしながら、山花線の再生をかたりあう。妻を亡くして一人暮らしの田中は私財の2億円を活かして山花線の存続を図りたいと言い出す。一方の河原崎も、系列企業役員のポジションは、銀行マンとして培ってきた「企業を育てる熱き思い」の封印と一緒で、生き甲斐が感じられないでいた。由希は由希で、銀行ではキャリアを思うように活かせず、不完全燃焼の日々を過ごしていた。

ドリームトレインの再生に向けて

この3人が作った会社がドリームトレイン、D列車だ。ところが三セクの山花鉄道の社長、山花町長の瀬谷正三は、鉄路の廃止は議会の承認も受けているだけに、ドリームトレインの言う「年間3千万円の増収で山鼻鉄道は生き残る」との言葉にも良い顔はしない。半ば押しかけコンサルタントの3人は、山花町に居を移して、鉄道の増収策を矢継ぎ早に打ち出す。沿線の小学校の生徒たちが書いた絵画を駅に飾って、列車を使って家族に見に来てもらう。大手の楽器メーカーを引き入れ野外コンサートを開く。美術学校の学生に沿線の建造物をキャンバスに絵を描いてもらい広告塔にする。などなどだ。

よそからやってきた気まぐれ3人組が、廃止が決まった鉄道を再生すると大言壮語していると見ていた住民も、熱心な取り組みに改めて鉄道を見直し始める。議会や住民への責任から存続にはかたくなだった瀬谷町長の心も変わってゆく。

文中で語られる山花鉄道の営業状態は、輸送密度(1㎞あたりの1日の乗客数)718人。営業係数(100円稼ぐのにどの程度の費用がかかっているか)は111円と示されている。地方の鉄道にはJRにおいても営業係数が1000円を超える、あるいは1000円に近い鉄道は沢山あるので、山花鉄道はまだ恵まれた鉄道と言える。

物語のクライマックスは、国土交通省を説き伏せて、リアル運転士がデビューする。小さい時から列車の運転士にあこがれていた男性は沢山いる。かく言う筆者もその一人だ。子供のころからの憧れを持ち続けている大人を、本物の運転士に育て上げ、話題作りに繋げようと言うものだ。訓練などの費用はなんと300万円!それも自分持ちで、訓練後は、営業列車の運転を任せようと言うアイディアだ。いくら何でもそれはあるまい。と思っていたら、この小説を地で行った鉄道が出た。千葉県の旧国鉄木原線を引き継いだ「いすみ鉄道」だ。いすみ鉄道では2010年に自社養成の運転士募集を行い、700万円の訓練費、自己負担でリアル運転士を現実のものとした。D列車で行こうがヒントになったのか?

ひとつだけ指摘しておきたい。ドリームトレインを応援する地元の放送局平和テレビが出てくるが、UHF局ゆえに設備もスタッフも弱小、と描かれている。かつてテレビ局は放送電波のVHF、UHFの違いがあって、VHF局は老舗でUHF局は新興で、設備も貧弱と言う事実はあった。しかしこの小説が上梓された2007年にはそのような違いはほとんどなくなっていた。しかも2006年には中国地方の全テレビ局は放送電波のクラス分けの無い、地上デジタルでの放送を開始していたので、平和テレビが出てくるたびに違和感が頭をもたげた。

なお本のタイトルとなった「D列車で行こう」はデュークエリントンの名曲「A列車で行こう」に倣っていることは明白だが、エリントンの「A列車」とはニューヨーク地下鉄のAラインを指している。

現場臨場

山花鉄道は架空の鉄道ゆえに、リアル現場臨場はありえないのだが、果たしてモデルとなったのはどこか?を考えるのは楽しい。中国地方の三セク鉄道では

旧国鉄の線区だった若桜鉄道と錦川鉄道、それに国鉄、JRから未建設線を引き継いだ井原鉄道と智頭急行の4社がある。この4鉄道を現場臨場としたい。

大胆にもピンク一色の若桜鉄道のSL 今は元の色に戻っている

若桜(わかさ)鉄道

郡家(こおげ)~若桜間 19.2㎞

SLをピンク一色にしてしまうなどの大胆な人寄せアイディアをひねり出している。JR鳥取駅まで乗り入れているので現場臨場は鳥取駅へ

智頭(ちず)急行

上郡(かみごおり)~智頭 56㎞

山陽と山陰を結ぶ連絡鉄道の一部を担っているので、普通列車よりJR西日本の特急「はくと」「いなば」がたくさん通る。
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井原(いばら)鉄道

総社(そうじゃ)~神辺(かんなべ)間41.7㎞

沿線は見所満載。山花鉄道を習ったのか?アートトレインやギャラリー列車などのイベントもあり。JR岡山から吉備線で総社へ、またJR福山から福塩(ふくえん)線で神辺へ、福山からは直通運転もあり。

錦川鉄道

川西~錦町(にしきまち) 32.7㎞

営業距離的には山花鉄道の規模に最も近い。また三セク開業以来一度も黒字となっていないのも山花鉄道と一緒で、平成27年の営業係数は126(100円儲けるのに126円かかっている)

終着の錦川からは未成線跡を利用して、さらに山間の雙津(そうづ)狭温泉へゴムタイヤの遊覧列車を走らせている。車両はそれぞれに色違いのカラフルな気動車だ。全列車がJR岩国へ乗り入れているので、現場臨場は岩国へ

旧国鉄色が人気のいすみ鉄道

いすみ鉄道

大原~上総中里(かずさなかざと)26.8㎞

中国地方の三セク鉄道ではないが、ドリームトレインが始めたリアル運転士を実際に始めてしまった、と言うことで現場の一つに組み入れ。

千葉県の房総半島、内房と外房を結ぶ山間の鉄道だ。経営改善を求めて社長を公募するなど、なにかと話題の鉄道だ。また旧国鉄色の気動車を走らせていて鉄道ファンからも注目を浴びている。なおリアル運転士はNHKがドラマ化している。主人公は海外エアラインでCAをしていた美貌の女性で、彼女が運転士にチャレンジするストーリーだ。「菜の花ラインに乗り換えて」(2013年10月BSにて放送)

現場臨場はJR外房線、東京から大原へ。また内房線の五井(ごい)から小湊鉄道で上総中里へ

 

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機長席(The Left seat)

ロバート・J・サーリング        早川書房

(絶版につきネット書店でサーチ)

「紅の翼」同様オールド・ノベルのご紹介。著者のロバート・J・サーリングは通信社の航空担当記者を長年続け、1966年にこの「機長席」を上梓している。

第二次世界大戦後のアメリカ、エアライン黎明期が物語のステージだ。戦時中爆撃機の操縦桿を握っていた若者がエアラインパイロットの道を歩み、レフトシート(機長席)で活躍するまでがつづられる。物語は1945年から始まるので、出てくる飛行機はDC-3、DC-4、エレクトラ、DC-7などのプロペラ機だ。

主人公マグドナルド・マッケイは、エアラインパイロットとしての訓練を終え、副操縦士としての乗務が始まる。操縦はもちろん、癖のあるキャプテンとの関わり、スチュワーデスとの恋愛(呼称はCAではなくスチュワーデス)などが語られる。1950年代のアメリカは、エアラインものどかで、冗談好きの機長が、乗客を驚かそうと、操縦教本をこれ見よがしに抱え、キャビンを行き来する様などが登場する。サーリング氏は細かい現場取材をして執筆に臨んだであろうから、おそらく実際にあったエピソードだったのであろう。

航空黎明期には避けて通れないいくつかの事故が登場する。快晴のグランドキャニオン上空でユナイテッド航空のDC-7とトランスワールド航空のコンステレーション機が衝突した実際の事故、民間航空機の事故としては初めて100名以上の犠牲者を出した。さらにマッケイの同期のパイロットが、航路を逸脱し山に激突する事故を起こす。

多くはパイロットミスと片づけられた事故調査を、マッケイは、航法機器、管制の不備を突いて正しい事故原因へと導く。これらの事故をきっかけに、その後の世界の航空安全にかかわる、管制システムの構築とFAA(アメリカ連邦航空局)のスタートが告げられる。サーリング氏が描いたのは、パイロットの出世物語だけではなく、航空事故究明への取り組みでもあったのだ。

そして物語の最後。航空事故調査の論客となったマッケイの操縦するDC-7は、霧深い夜のニューヨーク・アイドルワイルド空港(今のJFK)へアプローチを開始する。RVR(滑走路視距離)はわずかで、滑走路は見通せない状況であったにも関わらず、コックピットには伝えられなかった。DC-7はタッチダウン寸前、視界ゼロの霧の中に飛び込んだ。ゴーアラウンド(着陸復航)を叫ぶマッケイの操縦桿に、テイル(機体の尾部)がスキッドする感覚が伝わり、左翼エンジンのプロペラが滑走路を叩いた。

訓練に使われたリンクトレーナー

パイロットの訓練のくだりには、今の航空ファンにはなじみのない、リンクトレーナーがでてくる。遊園地でお金を入れると動く飛行機のような恰好をしたこのパイロットトレーニング装置は、計器飛行の訓練に使われ、当時世界中の軍やエアラインで使われた機器だ。

翻訳の清水保俊さんは、このサイトにも入っている「滑走路08」の翻訳など、航空に関わる文を数々訳されているが、日本版の発売が1980年と今から40年近くも前なので翻訳に苦労されたであろう。パイロットとスチュワーデスの会話に「シカゴ滞留の時に話しましょう」などの言葉が出てくる。滞留?今ならためらうことなくステイと訳せる。

文中に、マッケイの妻がテレビの深夜映画で「紅の翼」を見て、ジョンウエイン扮するパイロットを称えている。

機長席はどの飛行機でも左側、原題の「THE  LEFT SEAT」が機長、すなわちキャプテンシートを指す。機長昇格訓練を受けている副操縦士が、機長の代わりに左に座るには LEFT SEAT APPROVEが必要。

ワシントンナショナル空港

現場臨場

ワシントン・ナショナル空港(DCA)

 

主人公のマッケイらが訓練を受けたのが、ミッドウエスト航空のワシントン・ナショナル空港にある施設。DCAのターミナルAは1941年に開業しているので、マッケイらもよく利用していたに違いない。正式名称はロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港。ワシントンDCからわずか5㎞と近いが、滑走路が短いため、国内線のみで、日本からなど国際線は、郊外のワシントン・ダレス空港を発着する。ダレスの名称は、アイゼンハワー政権下で国務長官を務めたジョン・フォスター・ダレスにちなんでいる。アメリカの首都の世界への玄関口はダレス空港で、大統領の名前がついたレーガン空港は国内線専用空港、日本なら序列が問題となりそうだが・・。

成田からANAかユナイテッドの直行便でワシントン・ダレスへ。ワシントンDCのダウンタウンへ出て、ナショナル空港へは都心から地下鉄で直結。

DC-7

ダグラス社が創り出した4発のプロペラ機で1953年に初就航している。このシリーズの跡、ダグラス社はジェットのDC-8をデビューさせ、DC-7が最後のプロペラ機となった。ターボエンジンを搭載していたが、エンジンに比べ、機体構造は今一つで、客室の振動や騒音が大きく販売機数も大きくは伸びなかった。ダグラス社はDC-7開発の負担が大きく、マグドネル社との合併に踏み切ったと言われている。日本航空も使用したが、旅客機として乗れる機体は世界に一機も無い。

 

NY アイドルワイルド空港

マッケイの操縦するDC-7が事故を起こしたアイドルワイルド空港へのフライトは、茜のフライトログのJFK参照

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パイロットの妻(The Pilot’s Wife)

ビデオ版日本タイトル  ジェット247

アニータ・シュリーブ          新潮文庫

 

この作品を乗り物小説として取り上げるかどうか、書いている本人も抵抗があるが、ストーリーは素晴らしい。“抵抗”の意図するところは乗り物の描写が出てこないからだ。

パイロットの妻キャサリンは、未明に玄関のドアを強くノックする音で起こされる。ドアを開けた彼女は玄関に立つスーツ姿の男を見て、すぐに夫の操縦する飛行機が事故にあったことを察知する。夫のジャックが機長を務める旅客機がボストンからロンドンへ向かう途中、カナダ沖に墜落する。

飛行機のシーンがないため、乗り物好きにはいささか欲求不満が募るが、押し寄せるマスコミや原因追及にあたる事故調査機関、さらに捜査機関も加わりキャサリンや一人娘の心を乱す。作者は女性だけに、このあたりの描き方が女性の心理をとらえて引き込まれる。

事故原因に話が進むと一気にサスペンスめく。CVR(コックピット・ボイス・レコーダー)には機長のジャックが機内に爆弾を持ち込んだのではないかと窺わせる録音が入っていた。IRAに協力したテロだったのか?それともジャックの自殺だったのか? 色々な説が飛び交う。それだけに母娘に対するマスコミの取材は一層強引さを増す。それでも妻は冷静だ。事の真相を探るため、事故機の目的地ロンドンへ向かう。しかしそこに待っていたのは、妻の知らない夫の二重生活だった。墜落の真相は何だったのか・・。

ビデオは、タイトルも「ジェット247」と変えてリリースされている。しかも衝撃のスカイパニックサスペンスと、飛行機のシーンはないに等しいのに、あたかもパニック物を装うあざとい外装となっている。それでも内容は原作を結構忠実に映像化している。

原作では飛行機はT-900 なる架空の機種だが、映像で出てくるシルエットはB747 -400 。コックピットのシーンが一瞬出てくるが、スラストレバーが結構ばらばらにセットされていて、あれではかなり左右アンバランスなエンジン出力で飛行している。

 

 

現場臨場

ロンドン・ヒースロー空港

ロンドンの4つの空港の中で最も大きく、日本からの便はすべてこのヒースローに到着する。ドバイに抜かれるまで世界最大の利用者数を誇っていた。

ロンドン・ヒースロー空港

マリン岬(アイルランド)

ジャックの飛行機が墜落した海にもっとも近い場所、アイルランド最北の岬。夏の間も平均気温が13~14℃と冷涼な気候。本当に何もないところのようだ。北アイルランド第二の都市ロンドンデリーからおよそ60㎞。ロンドンデリーへはロンドン・スタンステッド空港から直行便あり。

 
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東京空港殺人事件   森村誠一

 

冒頭、大型ジェット機による2件の航空機事故が語られる。1件は北極海での不時着事故、もう1件は東京湾への墜落事故だ。物語のステージはおそらく1970年代で、描かれている航空機は架空の飛行機だが4発エンジンなので、ボーイング707かダグラスDC8のイメージだ。どちらもジャンボ機以前の懐かしい第一世代のジェット旅客機だ。

当時の日本からのヨーロッパ線は、飛行機の性能と最短ルートのソビエト上空が解放されていなかったため、アラスカのアンカレッジを経由するポーラルートがメインルートだった。そのため北極海への不時着も荒唐無稽な話ではない。実際に当時、このルートを飛行する旅客機は北極エリアへの不時着を想定して、コックピットにはシロクマと遭遇した時のために、猟銃が搭載されていた。(ホントの話)

もう一件の墜落事故は、1966年に起きたボーイング727型機の墜落事故にヒントを得ている。著者の取材は細かく、実際の事故での管制官の呼びかけのフレーズ「着陸灯を点灯してください」がそのまま使われている。この事故については柳田邦夫氏の著作「マッハの恐怖」(大宅壮一ノンフィクション賞)に詳しい。

小説は航空会社の新機種導入に絡む殺人事件に発展し、航空会社の重役や米人のメカニックなどが殺害される。特に重役の殺害は、空港内ホテルの密室で、真相は「えっ」と鼻白むのだが、はじめは読者を煙に巻く。

航空事故の描写が細かいので、空の旅には勧めないが、鉄道旅のお供にはお手軽だ。

羽田空港海老採り川河口付近の鳥居

現場臨場

羽田空港

物語の羽田空港は1970年代と思われるので、今の羽田空港から当時の片鱗を探すのは難しい。唯一あるとすればこの鳥居。かつての羽田空港の駐車場に場違いに建っていた鳥居を覚えている方もいるのでは。近くの穴森稲荷神社の参道の鳥居だったが、米軍の接収時代にも壊すに壊せず生き残ってきた。B滑走路が新しくなる際に移設され、今は海老取川の河口、弁天橋たもとに鎮座する。京浜急行、東京モノレール天空橋下車、徒歩5分。

 

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新・新幹線殺人事件

森村誠一     光文社文庫他

新・新幹線殺人事件

プロローグ、博多から東京へ向かっていた「ひかり116号」の車内で刺殺死体が発見される。物語は1985年に発表されているので、時代背景はおよそ30年前ということになる。同じく森村誠一氏による「新幹線殺人事件」は1970年に発表されているのでこの頃は、新幹線と言えは説明せずとも東海道新幹線であった。しかし前作の15年後に出た本書の時代は、博多開業はもとより、東北(盛岡まで)上越と新幹線が揃っていた。

ストーリーはひかり車内での殺人に加え誘拐や詐欺事件が重なって、まるで犯罪のデパートのように複雑に絡みあう。

博多に単身赴任しているサラリーマンが、新幹線で東京の家族の元を往復する様が描かれる。新幹線がビジネスや生活を支えている様が30年前の時代を思わせる。浮上した容疑者は被害者が殺害された新幹線より40分以上も遅く博多を出る「ひかり4号」に乗っていた。先行する116号で殺人を犯し、また元の列車に戻れるのか?鉄壁のアリバイとも思わせるが、列車密室殺人の王道ともいえる意外ななぞ解きが展開する。

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現場臨場

新幹線0系

新幹線0系

以久科鉄道志学館 和寒

30年の時は重くて、現場臨場も限られる。新幹線は、開通した1964年から20年もの間0系と呼ばれる丸い鼻の車両の一本やりで、新幹線と言えばこの0系だった。新・新幹線殺人事件が上梓された1985年には、後継車両の100系がデビューしているが、事件の現場となっているひかり116号は各駅停車タイプの列車なので0系であったろう。今は全車リタイアで乗ることは出来ないが、レジェンドとして、大宮の鉄道博物館などで見ることが出来る。

旧赤坂プリンスホテル

殺人の伏線となる詐欺事件の現場として東京の赤坂Pホテルが登場する。白を基調としたロビーを持った、高級感あふれるスタイリッシュなホテルとして登場するが、この物語の2年前に開業した当時の赤坂プリンスホテル新館と思われる。場所柄、政治向きのパーティーが多かったが40階建ての赤プリ新館は、若者に人気でクリスマスシーズンはカップルで埋まった。残念ながらこちらもすでに取り壊され今はない。

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